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life with cats

小さな頃から猫が好きな子供だった。田舎に帰るとそこにはいつも猫たちがいた。
いつも自由に生きている猫に触りたい、遊びたい。
でも猫たちはそんな気持ちの私の手をいつもするりと抜けて行った。
ここでは私と同居しているねこたちを紹介してます。
coo

身体が勝手に踊ってしまう〜
昔はこんなにスリムだった
うじゃうじゃじたばたむにむに
点滴打って復活!

北九州市若松区出身。1997年 (※1996年だった、くぅさんゴメン。2018年1月に訂正)の秋生まれ。名前は景山民夫氏の「遠い海から来たcoo」に由来。生後3ヶ月くらいの時に知人宅の裏山から連れ帰ってきて家ネコに。非常に野性味あふれる性格で、当初はマッタクなつかずに、とにかく物陰に隠れてばかりいた。ある時いくら探しても見つからないと思ったら、なんとバカデカイ花瓶の中に入り込んでいたが、自力では出られないにもかかわらず助けを求める気配も無かった。それでも気長に付き合っていくうちに、少しずつだが諦めた様子が見え始めてきたので、ねこじゃらしを作ってみたら、ついツラレテ遊んでしまう様になったので一安心したのだが、家人以外の足音や声がしただけで素早く隠れてしまうところは変らない。

それからひと月後くらいに引越しをしたのだが、約一時間の道のりを走ったあと車から出そうとした時に嫌がって運転席のペダルの裏にもぐりこんでしまってテコでも動かなくなってしまったので、泣く泣く車のダッシュボードを降ろすという大仕事をして救出したことがあった。確かに彼女にしてみたら大変なことが起きていると感じていたのだろう。可哀想ではあるが致し方の無いことであった。

それから約二ヵ月後、最初の脱走をしてしまった。脱走ルートは風呂場の窓であった。いつのまにか自力で窓を開ける事を覚えたらしい。近所の子供たちにも頼んで捜索すること3週間。諦めかけていたころに発見の知らせが舞いこんできたので、ねこじゃらしとネコ缶を持って駆けつけたが物陰から出てこない。手を伸ばしてもわずかに届かない微妙な距離をとったまま、しかし腹は減っているので逃げない状態がしばらく続いたが、根負けしたクーさんが一瞬首を伸ばしたところをすかさずキャッチして家までダッシュして連れ帰ってきた。途中ひっかくは噛み付くはで家に着いた時には私の指から出た血で黒白赤の三毛猫と化していたので、そのまま風呂に連行してシャワーで丸洗いしたあと、ネコ缶と水と共にしばらくの間風呂場に監禁しておいたら、ようやく記憶が戻ってきたらしくて落ちついた。こちらの指はしっかりと上下の歯が貫通しており、パッキンの悪い蛇口みたいにポタポタと流れ出る血で大変であった。

脱走劇から数週間たったころ、どうも様子がおかしいことに気が付いた。あのクーさんが、なんだか妙になついてくるのだ。それに食欲も旺盛で自分から催促してくるようになった。そういえばこの頃から甘える時に声を出すようになった記憶がある。気になって体をよく観察すると乳首の周りの毛が抜けていることに気づいた。オイオイ、まだ生後半年だろ? ちょっとマセ過ぎじゃないのと思いつつ近所の獣医さんの所に連れて行くと、案の定「オメデタです」とのこと。私は本屋さんに走り、出産関係の本を買ってきて研究に励み、ひと月後にはにわか獣医の出来上り。心細い様子でなついてくるようになったクーさんを撫で回しながら、本棚の一番下を空けて産箱を作るほどのオヤバカに変身。

そして出産は突然はじまった。本棚にあつらえた産箱に入ったクーさんが震え出す、陣痛の到来。数分おきに手足を伸ばして苦しんでいるが私は体を撫でてやる事しかできない。半時ほど経った頃ひときわ大きな声を上げ、最初の仔が産れた。言葉に言い表せないほどの感動である。産れた仔のへその緒を噛み切り胎盤を処理する、そしてお乳をやり排泄を促す。この一連のことを誰に習うことなくからだが知っているということにあらためて驚いてしまう。少し落着いた頃に、少しからだの乾いた仔を産箱の前に置いた別の箱に移す。さわっても大丈夫か?との不安がよぎったがクーさんの顔を見ると「まかせたよ」と書いてあったので思い切って取りあげて体中をさわりまくった。数十分おきに三匹を産んで落着いた様子を見せたので敷いてあったバスタオルを取り変えた。クーさんは「好きにして」といった顔をしている。

移しておいた仔猫を戻してやると、一斉にクーさんの乳首を探してうごめいている。嗅覚だけでじわじわとたどり着くと、両手で揉みながら一心に飲んでいる。いっちょまえでなかなか微笑ましいシーンであった。途中一時間くらいあけてまた震え出す。最初の三匹は黒白模様だったのにあとの二匹は茶系のキジトラ模様である、こりゃ父親は二人居るな...

すぐ近くに水とミルク、ドライフードを置いていたのだが全く食べようとしない。放心状態で肩で息をしているのが少し心配であるが、この晩は保温用に電球をつけて寝る事にした。そして翌朝様子を見ると、相変わらず死にそうな様子なので病院に連れて行って静注でブドウ糖と栄養剤を打って貰った。帰ってからは仔猫を全員ぶら下げて夕方までゆっくり寝るといきなり復活していた。

pipit

にゃんこがお
グルーミング大好き

一番最後に生まれてきた仔がどうにも元気が無いので結局手元に残すことにしたのだが、これがなかなかトイレを覚えてくれなくて、いつも雑巾と消臭剤を持って走り回ることに。だから名前はピピ。スラングに由来。けど発音しにくいので結局 ぴ〜 と呼ばれるように。

とにかく甘え。ひざの上が好き。抱かれるのも好き。寒い時期は布団の中にもぐりこんで来て一緒に寝るのもぴ〜だけ。構われるのが好きで好きでしょうがない様子。そして三人の中で呼ぶと「ぴゃ〜」と返事をするのはぴ〜だけ。私が家に帰ってくると必ず玄関で待っているのもぴ〜だけ。あたしゃあんたを取り上げはしたけど生んだ覚えは無いぞ! 親を間違えるな!

ある時何を考えたか、ぴ〜が脱出したことがあった。でも外に出たはいいけどふと我に返ったとたんに怖くなって、急に身体がすくんで動けなくなったらしい。隣の車庫の屋根の上でびゃ〜びゃ〜泣き(!)ながら固まっているのを発見され、声をかけたらすっ飛んで帰ってきたと思ったらトイレに直行。かわいそうにこの子はもう一生家猫としてしか生きて行けないんだねぇ...

暇さえあれば毛づくろいをしている。そばに誰かいればそちらが先と言う奇特な性格をしている。でもクロのほうから近寄って来られるのは嫌いらしい。クーさんが近寄ってくる分には文句は無いと言っていた。クロはデリカシーが無いので嫌いとも。

kuro

すぐに気を取られる
まんがのクロにそっくり

天然ボケねこ。それ以外に書くべき特徴は無い。と、一刀両断に切り捨てるのはかわいそうなので少しばかり取り繕っておく事にするが、何を書いていいのか少々困る。

う〜ん、え〜と、そうだ! ジャンプ力は最高。さすが♂にゃん。助走なしでカーテンレールまで一気に登るのは誉めてツカワス。しかしビックリした時にも思わず飛び上がるのは止めた方がいい。特にコタツの中で飛び上がると背中が痛いんじゃないかい?

夜寝るときになるとスリスリねこに変身。顔の前に拳骨を突き出してやると、嬉しそうになにやらウニャウニャと喋りながら鼻先から耳の後ろまでを擦り付けてくる。そしてぴ〜の上に座り込んではいきなり噛み付かれるのだが、本人はまったく堪えてない。だからぴ〜に嫌われる。まったくお構いなしのマイペースねこ。

悪戯を見つかって怒られたり、何か失敗した時にはニャウ〜と言いながら一人で階下に降りては、ひとしきり独り言を喋る。もしかして外にゃんたちと窓越しに愚痴を聞いてもらっているのかもしれないが、ここはひとつ聞こえないふりをしている。クロにだってプライドはあるだろうからね。








2007年の熱く永かった夏。

元気が無くなり急に痩せてきたので病院で血液検査を受けたが既に末期の腎不全であった。この日病院で皮下輸液をしてもらったら少し元気を取り戻して「背中をテンテンして〜」と寄ってきた。しかし翌日にはまた元気が無くなり部屋の隅でじっとしていた。検査から二日後にまた皮下輸液をしたら少し元気になるが、それ以上に病状が悪くなるスピードのほうが速いのがわかったので、獣医の先生に頼み込んで自宅で輸液が出来るようにしてもらった。以来自宅で毎日一回の皮下輸液を行う。でも悲しいことに輸液をしたくらいではもうどうしようもないほどに病状は悪化していた。この時にはスープ系の高いえさをわずかばかり食べていたが、わずか一週間後には消火器が炎症を起こして何も食べられなくなってしまった。しきりに水を欲しがるが上手く飲めない状態で苦しそうに吼えるような鳴き方をする様になった。

9月の9日にはついに動けないようになったので、外が見えるように窓際に寝かせて一時間ごとに向きを変える。思い出したように腹の底から絞りだすような声で鳴く毎日が続いた。何度も血に染まった胃液を吐くので、そのたびに口をゆすいでやった。そして時々血に染まった尿を絞る。尿毒症で吐息はアンモニアの臭いであった。その臭いでクロの苦しみがいかようかが想像できた。何度も体をなでながら涙がこみ上げてきた。そのうち背中の皮膚が脱水の為に固くなり延びなくなったので輸液時の針がさせなくなった。悩んだ挙句思い切って静注を試みた。二度目で上手く血液が引けたのでじわりじわりと入れた。気持ちだけクロの表情が和らいだ気がした。しかし二日後には血管の張りが無くなり、静注すら出来なくなった。

そして12日の太陽が沈む頃に徐々に呼吸が浅くなってきた。お別れの時が近づいてきたのを察した私達は二人でかわるがわるクロを抱いた。私達に抱かれてクロの苦痛は短い命と引き換えに終わりを告げた。最後まで暴れることもなく安らかに眠るように旅立ったクロに心の底から謝った。私に気付かせること無く一人で病魔と向き合っていたクロ。わずか8年間だったけどもの凄く楽しかった。一緒にいっぱい遊んでいっぱい美味しいものを食べて、時には勇気をくれ、また時に慰めてくれた友人であった。

翌日、クロのなきがらを実家の庭の片隅に埋めた。自宅に戻るとクロだけがしていた特徴あるえさの食べ方の痕跡があった。おぉ、苦しみから解放されたので早速カリカリを食べに帰ってきたんだなと分かった。さぞお腹が空いていたことだろうと思うとまた涙で視界がゆがんだ。悲しくて酒をあおるとどこからかかすかにアンモニアのにおいがし、クロが戻ってきて居たんだと確信した。その後も時々クロは家に帰ってきていたが、二週間が過ぎた頃から段々と影が薄くなり、ついに私達の前から姿を消してしまった。








2010年の桜散る晩春。

あれは2006年のことだったか、ぴ〜さんのお腹に腫瘍が出来て、段々と大きくなってきたのでかかりつけのドクターに相談したところ、早いうちに切ったほうが良さそうだと言うことで、日を決めて切除した。そのときは痛々しい姿に心痛んだけど、結果はねこにしては珍しく良性だったので安心してそれからの日々を送ることが出来た。

でもまた一年ほど前から小さなこりこりがお腹や胸にも点在しているのを発見した時には愕然とした。そして息子が退院したらまた切ろうねと言い聞かせていたけど、あれよあれよと言う間にそれらは増殖して大きな塊になってしまった。ドクターも怖くて切れないと仰る。そんな春の日に息子が無事に退院してきた。

さてさてどうしようかと悩んでいた4月の25日の日曜日。ほんの数分のあいだに、みんな居るのに、たった一人で突然旅立ってしまった。心臓マッサージも人工呼吸も何の手助けにならなかった悲しさが我が家を包んだ。あんなに甘えだったぴ〜さんが気高く旅立ってしまった事実を私たちはまだ受け止めきれてていない。悲しい。寂しい。








2016年の秋風の頃。

去年の夏には6kgあった体重が一年で4.5kgまで減ってしまっていた。あれだけ食欲旺盛だったくぅさんが少食になってきたのは明らかだった。だけど、身体が軽くなって動作も軽やかになっていたので、このまま20歳まで生きるんだぞといつも言って聞かせていたのに、夏にはまともに歩けなくなってしまった。

それでもくぅさんのプライドは高かった。這うように前脚だけでトイレに行き、自力で水を飲みご飯を食べる。オムツの準備もしていたけど一度も必要にならなかった。だけども秋風が吹いてきた頃から目に見えて痩せてきた。そりゃそうだろう、もう2週間も固形物を口にしていないのだから。

静かに命の炎が消えてゆくのを見守るのは辛いものだった。どこまで介入が許されるのかも不安だった。だけど水だけはあげたかったのでスポイトで口に流し込んだ。しかし最後はそれさえ拒むようになって、くぅさんからもういいよって言われた気がした。さよなら、くぅさん。

ちょうど19歳、大往生だねとは口にするものの実際は枯れ果てるのを見続けてゆくわけで、身体中の組織を毎日毎時間少しずつ少しずつ小さな炎にくべて生きている命。ニンゲンのように煩悩がない純粋な命の炎はそれはそれは孤高なものだった。俺たちも死ぬときはこうありたいねとは言うものの残された方にすればピンピンコロリが一番だ。

でもね、最後にもう一口大好物だったホタテの刺し身を食べてほしかったよ。

くぅさんゴメン、年齢を一歳間違えてたよ。だから20歳の大往生だったね。人間だと百歳超えだ。俺も負けないよ。

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