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doubleAX.com
self profiling

怪しい管理人はこんなものが好きなのである。基本的にはメカニカルなものが好き。
かと思えば天文学に興味を持つ一面もあったりと趣味の多さには定評がある。
自分でも収拾が付かないと思いつつも、好奇心を抑えることが出来ないのである。
そこで、こんなページがあったら私のことを少しでもわかって貰えるかも知れないと思って作ったページ。
what's new

<<< 2024年追記 >>>
 気に入って乗っていたW210の電線類がボロけて燃えそうな勢いになってきたので出物を物色してたら箱入り娘のW211に遭遇。2006年式で走行13000kmの雨天未使用並みの極上車を2020年のクリスマスに登録完了。乗っていたヨットのオーナーが2023年の夏に急逝し、しばらく海に出ていない。死にそうでも死ななかったり、元気だったのにあっけなく死んでしまう。実に不条理を感じる。2022年末からアマチュア無線を復活し2023年7月に夢のDXCC入会。
<<< ここまで追記 >>>

<<< 2019年追記 >>>
 従兄弟が32GTRを持っていって、代わりにW210を持ってきたので車が三歳若返った(笑) カメラはGRD無印から三代目に変えていまだに使ってる。普段はエクスペリアでメモ撮影だけど「写真」を撮るときにはGRD登場。天幕は相変わらず張っていないけどヨットにはよく泊まっている。長期クルージングに行きたいけど無理。知人がでかいキャンピングカーを買ったので、そちらでも遊ばないといけない。
<<< ここまで追記 >>>

 

 まずはカメラが変わった。SR300RT* は予備機も入手したが電池の持ちの悪さに困ってしまって RICOH G4 wide に浮気したところ、写りのよさにこちらを本妻にしてしまった(苦笑) その後暫くは満足して使っていたのだが数度の落下で調子が悪くなってしまったのを機に GRD に衝動的変更。いまのところこれ一台ですべて満足している。

 天幕を張りに行かなくなって久しい。まぁこどもの耐環境性能が上がればまた復活するつもりである。その代わりと言っては失礼だけれども、最近は某氏所有の里山で遊ばせて頂く機会が増えた。ここには料理の腕を磨ける師匠が居られるのでそちら方面でも今後が楽しみである。

 ヒカリモノや刃物には相変わらず弱い。日亜の超高輝度白色LEDなどを入手したので色々と遊んでみようと企てているところである。刃物も島原の猪原金物店で目の保養をさせていただいている。

 車はレガシィからうるさい32GTRに変えた。こどもが出来たのを機にツーリングワゴンから暴走仕様の2ドアクーペに変える大馬鹿者であるがどうせこどもの積み下ろしは私が担当なので私がよければいいのだ。

 ドラッグレースもイケるところまで走る予定。そろそろシングルタイムが見えてきたので今年は面白くなりそうである。さっさと二駆でシングルを出してGTRに移行して8秒を狙いたいと密かに狙っているところである。

weak point

マグライトと白色LED
馬鹿に刃物?

 ヒカリモノに弱い。宝石ではない、懐中電灯の類である。マグライトを手に入れた頃は、嬉しくて部屋の電気を消してあちこち照らして喜んでいた。そしてレーザーポインターにも弱い事を少し前に認識した。これには同居ねこたちも弱いらしく、光を追いかけて壁登りなどしているくらいである。ところで最近気になってしょうがないものが SUREFIRE である。欲しい。よくアメリカ映画なんかで SWAT なんかが銃に付けている強力な閃光を発するアレである。でも高い。けど欲しい。

 刃物に弱い。あまり詳しくないのでミーハーなのであるが、ジャックナイフは銃で有名な S&W 社のものに惚れて衝動買いした。包丁は十数年前からゾーリンゲンを使っている。そしていつも手の届くところに VICTORINOXLEATHERMAN が転がっている。これらはハサミが特に便利で重宝している。去年は安来鋼にココロを奪われて鉈を買ってしまった。この鉈、驚くことに髭が剃れる。そしていま欲しいのはこれらを研ぐ天然砥石である。調べるうちに世の中には砥ぎマニアなるものが存在することを知った。

 カバンに弱い。これは15年くらい前に発症した事に気づいた。場所は羽田空港であった。当時重くてすぐにクラッシュするPCを持ってうろついていたのだが、いつもカバンの中のPCに気を付けなければならなかった。そんな時目の前に当時としては画期的だったPC用のアタッシェケースが現れたのでもちろん即購入。以来目的にあわせたカバンをいくつとなく買ったが、いまだに満足できるものにはめぐり合っていないので、今後も重症化して行くものと思われる。最近のお気に入りは RIMOWA のキャビントロリーと、北海道の馬具メーカー SOMES 社の小さめのショルダーバッグ。これは以前からJAS(現在はJALと統合)の機内ショッピング誌に載っているのでご存知の方もいると思うが、なかなか質感がいい。もう少し小物が整理できるとベストである。

 人の個体識別に弱い。つまり顔を覚えるのが大の苦手ということ。特に女性の顔は誰がなんと言っても無理である。すでに特技といってもいいレベルである。そうかと思えば生活範囲にいる野良ねこや飼い犬の顔はすぐに覚えてしまう。困ったことであるが、こればかりはどうあがいても能力がぽっかりと欠落している模様。思うに我が馬鹿頭は物をすべてカタチで記憶しているためにこんな現象が起きるのではないかと愚考する。犬や猫は化粧や髪型を変えたりしないもんなぁ。だから降参。

 コンパクトで剛性の高いものに弱い。例えば ThinkPad などが代表的。質実剛健。他にも、戦闘機。フォーミュラカー。チタン・カーボン・マグネシウム製品。シンメトリーなもの。プロ用ツール類。文房具もやばい。活字と酒はもっとやばい。旨い食いものとプロのサービス業が揃ったらメロメロになる。東急ハンズも出られなくなるので危険。そして特に弱いのが、ねこの肉球としっぽ。

 そして忘れてはならないのが椎名誠氏を隊長とする怪しい探検隊改めいやはや隊の面々。シーナさんには講演会で接近遭遇しただけだが、中村征夫さんには写真展で偶然お会いでき、サインも頂いた。それから三島悟さんとは東村山の MARU にお邪魔して一緒に酒を飲んだ。木村弁護士や沢野画伯にもお会いしたいと思っているが、なかなかチャンスがめぐってこないのが地方在住の辛いところである。

camping

PRIMS製品
チタンカトラリー

 団体行動が嫌いな性格であったために、当時小学生であった私の初めてのキャンプは悲惨な思い出として封印しているのであるが、高校時代に先生から男の遊びとしての屋外生活の基本を学び、酒の呑み方も教わった事がきっかけで天幕大好き人間と化す。

 最初は装備も持っていなかったので夏場だけのニワカキャンパーとしてデビューしたが、徐々に装備をそろえ始め、翌年には立派なオートキャンパーとなっていた。思えば背表紙が付いていた頃のBE-PALにどっぷり洗脳されていたのが今となっては恥ずかしい限りである。しかしタープの張り綱を替え、強力ペグを多数打ち込み、台風を迎え撃ったり、一週間連泊をしてテントの下の雑草を全てもやし化したりと、やることはどこか変であった。しかしその後一人で行動することが多くなり、少しずつ個人装備に替えていって、今ではすっかりソロがお気に入りのスタイルとなってしまったにもかかわらず、相変わらず車横付けの御気楽キャンプをしているのである。装備も山岳テントでソロクッカーにチタンカトラリーを使っているかと思えば横には七輪が置いてあるし、見上げれば相変わらずのでかタープ。しかも椅子とテーブルは忘れちゃならない。要は、快適な空間を如何に楽に作り出すか。が重点モットーとなっているのである。

 キャンプサイトに到着したらまずは辺りを眺めてビールをプシ。半分ほど飲んだらおもむろにタープを張り椅子とテーブルをセットする。そしてゆっくり座って残りの半分を飲み干す。この時にビールがぬるくなっていない事が唯一自分に課した決め事なのである。この後は一升瓶と本を取り出し、ページをめくりながら酒を口に運ぶ。少し飽いたら飯を炊きテントを設置する。そして暗くなってきたら飯を食い露天風呂につかる。と、まぁこんな感じで雨が降ろうが雪が降ろうが出かけていくわけである。ただし夏休みは駄目である。ルールやマナー以前に常識がない連中と同じ空間にいるほど酔狂ではないので、夏は行かない。行きたくない。オフシーズンである。それからテントサイトから30歩以内に露天風呂がないところにも行かない。あぁ、我がぐうたら天幕生活に幸アレ。

camera

CONTAX T2

 思い起こせば小学生のときに親から譲り受けた RICHO AutoHarf 以来 MINOLTA SR-7 で一眼レフに目覚め CANON AE-1 や NIKON FE とMFを長年使ってきたが、寄る年波には勝てずに自身初のAFカメラである NIKON F90xs と、まぁ多分一般的?なカメラ遍歴を経てきたのだが、ずっと心の中ではドイツ製に目が向いていたのは事実であった。金銭的にもあきらめていたのだが、俗に言う高級コンパクト機であれば現実的だと言うことに気づいて Contax T2 を手に入れたら画のシャープさにびっくりして、数台あったカメラ類を全て整理して Contax SL300RT* との二台体制にしてしまった。
 写真の出来に関してはまったく自信がないのだが Contax で撮ると少しはましな気がしているので、宝の持ち腐れと思いつつも * 印が手放せなくなったと言うことにしておいて欲しい。

radio amature

 小学生の頃ナワバリのなかに、大きな蜘蛛の巣のようなものが電柱の上にあった。なんだろうと思いつつも月日は流れ、ある時中学の理科の先生から「あれはアマチュア無線のアンテナで世界中の人と話が出来るんだ」と教えてもらい、俄然興味がわいてきた。しかし現実には他にココロ惹かれるものが多すぎて、いつかやろうと思いつつ大人になってしまった。 ・・・そして時は流れ、ある時知り合いの車に無線機が乗っているのを見て一気に欲しくなったので早速免許を取ることに。調べてみると講習会もあったが、ひねくれた性格が国家試験に体当たりで突撃するべしと叫んでいたので、無線工学と法規の本を読んだだけでいきなり受験。こうなると逸る心は止まらずに試験が終わった帰り道に無線機を購入。そして夜遅くまでかかって車に取り付けてしまうという暴挙に出た。

 無事に合格していたので事なきを得たのだが、はっきり言って電波法違反であった。しかしその翌日、普段は聞こえるはずのない京都の声が聞こえるではないか。そのときにはまだ知らなかったのだが、スポラディックE層という電離層が出現したことによる気象学的特異日?であった。後日知人に話すと、どうして交信しなかったんだと言われたが、まだ免許がないのでそれは無理だぞ。しかし今になって考えるとこの時の体験がその後の無線アクティビティに大きく影響していた模様で、数年後のコンテスト入賞に繋がるエネルギーとなったのは間違いない。

 家を建てたのをきっかけに、子供の頃の先生の言葉が浮かんできて世界と交信できる短波帯に出ることを決意。あの頃眺めた蜘蛛の巣状のアンテナはキュビカルクワッドと呼ばれるものであることを知り、あれを建てるのだと思っていたのだが、あまりにも玄人向けなので建設をあきらめ一般向けの八木アンテナを建てて開局。初交信は同じ九州の熊本であったが痛く感動したことを覚えている。そして初の海外はお隣の韓国。言語は日本語。非常に日本語のうまい方でありました。脱帽。その後は季節とともに順調に海外を増やしてゆき、1992年から1994年までで確か160カウンティ(国とは少し違って全部で三百数十箇所あった)ほどとのんびり交信していた。

 ある時日本アマチュア無線連盟(JARL)の特別局のオペレーションをするチャンスがあり、国内中から呼ばれまくって最初は慌てたが、すぐに外国遠征隊の強気のオペ術を思い出して冷静に対処する。これで自信をつけその年の秋のJARL主催のフィールドデーコンテストに遊び半分で参加したところ驚きの地区3位入賞。馬鹿とアマチュアはおだてりゃすぐに舞い上がるの言葉通り、翌年はアンテナその他装備を揃えてまじめに参加して1位を勝ち取る。この頃のアクティビティは高く、家でも車でもいつもマイクを握っていたが、ある夏の台風のときに念のためにアンテナを降ろしてからは徐々にモチベーションが落ちてきて現在に至るまで無線機は車のみとなる。

 最初の無線機(リグと呼ぶ)は KENWOOD TW-4000 で、その後固定機にも手を出し TS-690 TS-850 FT-736 ・・・と買い替え、車載機も覚えきれないくらい入れ替えたが、好みとしてはミーハーな KENWOOD に始まり、プロっぽい YAESU で落ち着いたところにも性格が出ていると思う。本当の業務用 JRC に走らなかっただけ救われたと思う。しかしこれらも場所をとるため数年前に全て処分して、今では小さな FT-100 をレガシィに搭載して航空無線受信専用になっている。

why doubleAX ?

 なぜにダブルアックスと言う名称を付けたのか。はっきり言って深い意味はないのだが、一生のうちに一度くらいは実際に氷の壁をダブルアックスで登ってみたいと言う願望があるから。私が山屋というわけではないので、ワードサーチでここにおいでになった方には申し訳ないことであります。

what is thom?

縦振り電鍵

 そして最後にハンドルの由来。すでに書いたようにアマチュア無線の世界では、本名ではなくニックネームで呼び合う慣習があり、日本の場合は名の一部を使う人が多い。当然私も最初は名からとった tom をハンドルとしていたが、同じハンドルを使う人がゴマンといるのに気が付いたのである。思い悩んだ末に昔好きだった「トム・ソーヤの冒険」からファーストネームの thomas の一部を借用したのである。

 余談になるが「ハンドルネーム」は変な日本語である。正確なところははっきりしないので勝手な脚色を加えて説明すると、むかしむかし、無線電信のはしりの頃は縦振り電鍵(写真参照)を使用してトン・ツーの二つの符号の組み合わせ(今で言うディジタル通信の原型)で通信を行っており、その電鍵の取っ手がつまりハンドルと呼ばれていた。そして通信士達は誰よりも速く正確に電文を送ることに命を懸けていたので、自分の名前など定型文に近いものを省略して短くすることが流行ったのである。それをつまりハンドルと云った所から、handle に「肩書き」と言う意味が出てきたのである。そして、その慣習はアマチュア無線に伝承され、現代のインターネットへと発展してきたのである。であるから、ハンドルネームと言うのは意味の重複であり、ニックネーム等と混同したおかしな言葉であることを認識して欲しいのである。

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