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瀬戸内クルージング2012-09-02〜05

上五島に連れて行っていただいた嫦娥オーナー氏の母港回航に、拙いながらクルーとして同乗した記録。広くて退屈な周防灘はナイトクルーズなので戦々恐々としていたけど、実際は遠くに見える航海灯だけでも行き会う船の向きや大きさといった情報が直感的に理解でき、これはハマりそうだ。



軌跡をgoogleマップで表示
しながら画像を眺めていただけると、より楽しめると思う。





乗船したのは元ボイジャー号が使用していたポンツーン。現在は放置され、風情のない鉄条網でイイカゲンに封印されていた。出航してすぐ振り返って撮ったショットには遠目にスペースワールドが見える。




勝手知ったる洞海湾にいつの間にか面白そうなものができていた。調べてみると日本サバイバルトレーニングセンターだという。日本でここだけだという大型船からの脱出カプセル?の放出装置が見える。



そしてフネは洞海湾を抜けて関門海峡へ。東流の潮流に乗って気づくと広大な周防灘。関西・四国・そして豊後水道へ向かう本船航路が集中しているので、いっときも気が抜けない。そうこうしているうちにとっぷりと日が沈んでナイトクルージングの始まり。

低い位置に登ってきた月の薄明かりを頼りに本船のシルエットと航海灯の位置を頭に叩き込む。やがて暗闇の遥か彼方の灯りだけで船の向きとおおよその速度がわかってくるようになる。そうなると楽しくなってきて、深夜に集中力が力尽きるまで操舵していたのでこの間の写真は一切ない。そうして朝が来た。




瀬戸内を何度も通っているオーナー氏のセレクトする航路はマニアックである。この写真は山口の沖家室大橋。マストトップとのクリアランスは凡そ2mであった。まぁ、確実な情報があったからと笑って仰るが普通はこんなところは通りません(笑)




島好きのシーナマコト氏の著書で知っていた不思議な名前の怒和島をカスメて、安居島に寄って昼ごはんを食す。仕込んでおいた生姜風味の混ぜご飯を一同ウマイウマイとあっという間に食べ終えると、コインシャワーがあったので潮を流してさっぱりする。




先は長い。長居は無用と針路を大三島に向ける。船尾のキャプテンズシートは暑いので日陰に逃げる。満腹感と船の揺れに吸い込まれるように眠ってしまった艇長とまつを氏を横目にコクピットで軽い運動をしながらワッチに専念する。




本船航路の北側をしずしずと進んでいると、大角鼻の影から難所の来島海峡を超えて来た巨大客船が現れて驚く。段々と近寄ってくる客船は飛鳥Uだった。一度乗りたいと思っていたけど、ヨットを知ってしまった今となってはヨットのほうがいいな(笑)




本日のメインイベント級の鼻栗の瀬戸に差し掛かる。海底から吹き上がるような鉛直流があったりと、予想が全くできない不思議な流れが次から次に現れて当て舵が忙しいがとても楽しい。




次に現れたのは世界一の斜張橋。確かにでかい。人間ってすごいと単純に感じ入る。そんな事を考えつつ、瓢箪島を横目で眺めて大三島をぐるりと四分の三周して日暮れとともに宮浦港へ入港。晩飯は数日前に自宅で仕込んでおいた、しんのじ師匠直伝の南風カレーをビールとともにいただく。涼しくなった風に吹かれて食べるカレーが自画自賛ながら実に美味い。




夜半に、ぽつりぽつりと秋の雰囲気を漂わすような小さな雨が睡魔とともにやってきて気づいたら朝だった。雨雲は遠くに去り、朝日が出港する私達を見送ってくれた。写真でわかるように宮浦港はとても静かな泊地だった。ハリヤードがマストを叩く音もなく、殆どどこでも聞こえる耳元30センチ先の船体を波がヒタヒタと洗う音もしない、限りなく無音に近い世界。是非また訪れたい港である。




針路を三原に取って暫く走ると見えてきた幸陽船渠。昨夕我々の後ろを不思議な形をしたものが追いかけてきていたのだが、そいつが唐突に目の前に現れた。それは垂直に立った船首と船尾が台船に載せられていたものだった。ブ厚い鉄板を自由自在に操れる職人がいる造船所が別にあって、ここでそれらを組み立てている模様。




予定通り2時間半で三原到着。フェリーのいない隙に桟橋に近寄り、まつを氏が飛び降り、互いに何度も手を振り別れを告げる。街深くまで入り込んだ港は新幹線の駅まで徒歩10分とヨットから下船するには絶好のロケーションである。




その隣りの浮き桟橋からは近くの島に向かう高速船などの船が賑やかに行き来していた。そんな河口にある浅い港を眺めながら次に向かうのは尾道水道。




去年だかの連ドラのそのままの景色が広がる。坂の上まで古い家並みが連なる街は私の育った八幡や長崎とも似ていて、初めてなのに懐かしい気持ちになる。外洋から入り込んだ静かな港に沿って狭い街があり、裏手はすぐに山という日本らしさが心地よいのかもしれない。




水道を東側に抜けると北岸に古い漁師町が残っている。この写真の向こう側には松永湾が広がり、砂州があるところを見ると今でも貝などが採れているのだろうけど、そんなに景気が良い風には見えなかった。こうやってあちこちの漁師町を眺め歩いていると、景気のいい所と悪いところが両極端なのがわかる。




不思議な地名の阿伏兎の瀬戸を抜けて、観音堂を眺めながら岬を回ると、僅かだけど風が来た。暫しの微風セイリングだとジブを張る。散歩程度の速さで進むヨットの上で素麺を茹でて啜り込む。そうこうしている間に段々と近づいてきた瀬戸大橋。どこまでも続く長い橋が連続した画に唖然としたままフネを進める。




圧倒されるほどの構造物を目の前にすると人間は黙るんだと気付いた。でも昨日見た世界一の橋に比べると、こっちは背も低くて腹回りがどっしりとしていて、なんとなくどこかに親近感を感じる(笑)




この間を抜けると高松の街が見える。やっぱりここも狭いルートを選ぶ艇長氏。寄り道脇道回り道の好きな私とどこか同じ匂いがしてやっぱり親近感を覚える(笑) そしてここを抜けると今度こそいい風が吹いてきた。素早くジブを展開してこの旅一番のクローズホールドで突き進む快感。そのまま女木島直前まで艇長と二人で走りを楽しむ。この醍醐味をまつを氏に味わって欲しかったが、どうにも残念無念で申し訳ない。




漁師御用達の熱い銭湯でひとっ風呂浴びた我々は、氏の記憶を頼りに小料理屋にたどり着いて三日ぶりの社会人消費生活にしばしの間戻る。野菜の炊合せがしみじみと美味い。初物の秋刀魚とイチヂクを味わい、讃水山海の温燗の盃をクピリクピリ。内町の料理屋「遊」はなかなかお勧め。




高松最後のシメはやっぱりうどんでしょと、ざるうどんをやっつける。流行りの全国チェーンみたいな鞭のようなうどんじゃなくて、適度な腰と滑らかさでイケる。でも「うどん三本蕎麦六本」の流儀でやると多すぎて、一息で飲み込めないほど一本が長く、目測でおよそ90cmはあるので正しい酔っぱらいのおじさんは一本ずついただきましょう。




街なかのハーバーらしく蚊に悩まされながら揺れる一夜を過ごし、早朝散歩の帰りに昔ながらの正しい喫茶店でモーニングを食す。これまた正しいサンドウィッチがウマイ。大きな漁港の傍とはいえ24時間営業は偉い。広い店内には静かに古いRockが流れる。きっとマスターは昔バンドをやっていたんだと二人でプロファイリングしながら船に戻って出港準備。




思いの外近代的な高松の街を振り返りながら、やたらフェリーの多い本船航路横を忙しく小豆島に向かう。




そして最後まで狭いところを暗礁や瀬を横目に琴塚港を目指す。山の上から大きな大きな観音様が優しく見おろしてくれているのを感じながら、今回はじめての槍付け用もやい綱の準備を済ますと今回のフネの旅がまもなく終わる寂しさがこみ上げてきた。




船旅の重要アイテム三つ。兎にも角にも水分補給が第一。OS-1を飲みきったあとは粉末のVAAMを水に溶かして飲んでいた。そしてその間に酒。プリン体と糖類の少ないモノをチョイスして少しだけ健康にも気を使おう。サングラスはPL(偏光)がやっぱりイイが、液晶表示の計器類とは相性が悪いのが辛い。




岡崎造船の社長とお話をさせていただいたあとは、ヨットの片付けと簡単な手入れを終えて家路につく。土庄港行きのオリーブバスは私の貸切状態で、道々運転手氏が島内ガイドをしてくれた(笑) 運転手さん「目の前が世界一狭い海峡で〜す」




言われるがままに写真を撮る(笑) 確かに狭い、こりゃ運河だ。




新岡山行きフェリーに12分で連絡。その前に慌ただしくお土産を買う。
売店でオバちゃんに「石鹸ちょうだい」と言うと「洗濯石鹸はおいてないよ」と返された。おっと、汗だくでフネを降りたまま着替えてなかったからなのか? 俺、もしかして汚いオジサン状態? ヤバシ!
「いや、オリーブの石鹸がほしいんだけど」
「お母さんにお土産ならそう言わなきゃ」
「んにゃ、嫁さんの土産!」
「ありゃ、若い嫁さん貰って羨ましい〜」
って、オバちゃん、うちの嫁さん見たことあるんかい!




思い出し笑いをしながら乗船率一割のフェリーで爆睡して起きると新岡山到着。目の前の岡電バスに乗り込むと直ぐに出発。なかなか連絡がいいぞと喜ぶが、地図をチェックしてなかった岡山駅は遠かったが、駅についたら15分でみずほが出発。晩飯のたこめしを食って一眠りすると小倉到着。在来線〜バスを乗り継いで、小豆島から5時間半で帰着。艇長さん、お世話になりました。また来年もよろしくお願い致します。





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